
2025年のおわりに考える。
AIと向き合い続けて分かったこと
2025年は、生成AIが「珍しい存在」ではなくなった年でした。
生成AIは完全に「日常の道具」になりました。
kushamiの仕事の中でも、
企画の壁打ち、構成の整理、リサーチなど、
一日の時間の使い方として、AIと対話することが当たり前になっています。
特に僕自身は、ChatGPTは月200$(3万円!)のProを利用していたり、Geminiで返信メールの下書きをつくってもらったり。
すでに特別な存在ではなく当たり前の存在として、仕事とプライベート両面のバディとして常に自分の一番そばにいてくれました。
ただ、使えば使うほど、確信を持ったこと。
それは、AIは答えをくれる存在ではない、という事実。
「楽になる」はずだったのに、考えることが増えた
生成AIが普及すると聞いたとき、
多くの人が思い描いていたのは
「考える手間が減る」「仕事が楽になる」というものだったと思います。
実際、業務スピードは上がりました。
情報収集も、プレスリリースの下書きも、打ち合わせの議事メモ作成も早い。
それでも、実際の現場で起きていたのは、
考えることが減るどころか、むしろ増えていくという現象。
その答えは、「妥当」なのか。そして、「納得」(腹落ち)できるか。
なぜ、今この切り口が必要なのか。
自分は、どこに違和感を覚えているのか。
AIが出したアウトプットを前に、
こちらが問い直される場面が、何度もありました。
AIの恩恵は「思考の速度」ではなく「問いの見える化」
2025年を通して感じたのは、
AIがもたらした最大の変化は、効率化ではなく、
問いの見える化。
AIは、こちらの曖昧な思考を、
まずは言葉の形にして返してくれます。
すると、
「自分は、本当はこう考えていたのか」
「この前提、どこから来ているんだろう」
「この言い回し、誰の視点なんだろう」
といった問いが、やまほど出てくる。
AIは思考を代替するのではなく、
思考を露出させる存在だったのです。
実際に使うときにはプロンプトを投げかけるときも
なるべく背景情報や事実整理、自分なりの仮説生成をおこないます。
そうすることで、より自分対自分、my思考 VS my思考’(ダッシュ)のやりとりに深まっていくのです。
2025年は、
「AIがあるから考えなくていい」のではなく、
「AIがあるから、より深く考えざるを得ない」
一年でした。
PRの仕事は、ますます「思考と実践の領域」になっていく
この気づきは、PRの仕事にも直結しました。
情報を集め、整え、並べるだけなら、
いずれ多くの部分はAIが担うことになる。
けれど、
- どのような問いを立てるか
- どの切り口がもっとも納得するか
- 実際にどのように現実世界で実現していくか(結局これが一番大事)
この3つは、ひとが社会の中心である限り、最後はAIに頼ることはできないラストワンマイルの部分だと思います。
特にPublic Relationsは、
社会との関係性を扱う考え方・思考学です。
問いを間違えれば、
関係性そのものを壊してしまうこともある。
切り口に納得感がなければ、
その情報やコミュニケーションは広がらない。
現実世界で実践しなければ、
結局それは机上の空論、自称・クリエイティブ・ディレクター気取りの紙くずレベルのアイデアにしかならない。
だからこそ、2025年を通して、
PRの仕事はむしろ、
人間性が問われる領域になっていくと感じるようになりました。
答えを求めるのではなく、問いを立てることが増えた1年
AIを使うようになって、
自分の中で、はっきり変わったことがあります。
それは、
「早く答えを出そうとしなくなった」ことです。
以前よりも、
- すぐ結論を決めない
- 違和感を一度、放置してみる
- 問いに対し、さらに、問いを立ててみる
そうした時間を、大切にするようになりました。
AIがいるからこそ、
人は「考え続ける存在」でいなければならない。
考え続けることをやめない。
そんなことを考えながら年末を過ごしています。
今日のコラムをChatGPT、Notebook LMでインフォグラフィックにしてみた
ここまでの内容をそれぞれChatGPTとNotebookLMにソースを読み込ませて、いろんなプロンプトでアウトプットしてもらいました。
日に日に進化していてすごい。
ChatGPT|コラム内容をイメージ化

ChatGPT|単純な画像生成

NotebookLM|インフォグラフィック(通常)

NotebookLM|インフォグラフィック(中学生向けに詳しく説明)

NotebookLM|インフォグラフィック(官公庁向け説明)

NotebookLM|スライド
2025年も大変お世話になりました。
みなさま、よいお年をお迎えください。





