「ファンを増やす」の視点って、上から目線じゃない?
企業のマーケティングでは、しばしば数値目標として「ファンを●●人に増やす」と掲げられます。
確かに、フォロワー数や顧客リストの数は分かりやすい成果指標です。しかし、そこにはいつの間にか“企業>>>>顧客”という「上から目線」構図が生まれ、言葉だけが空回りしてしまうことも少なくありません。もともと私自身もかつては良かれと思って、「どうやってもっと“認知”を広げようか」「どのキャンペーンが効果的か」といった議論に躍起になっていた時期がありました。
もちろん、それ自体が間違っているわけではありません。けれどその言葉の裏側には、知らず知らずのうちに、“届ける側”と“受け取る側”という非対称な関係性がにじんでしまうことがあります。
一方で、「自分たちが誰かのファンになる」──そんな姿勢に立ったとき、関係の構図はがらりと変わります。
推しのことを深く知ろうとする。推しの言葉に耳を傾ける。推しが頑張っている姿を見て、応援したくなる。そのすべてが、「やさしい関係性」を築くための、自然な営みなのだと気づきます。
Public Relationsは「知ろうとすること」から始まる
私たちが考える“やさしいPR”とは、いわば「知ろうとすること」を大切にするPRです。
押しつけるのではなく、無理に注目を集めるのでもなく、まずは相手を理解し、尊重し、好きになる。
それは、相手を「ターゲット」として扱うのではなく、「一人の人」として向き合うということ。
企業が誰かの“推し”になるには努力が必要です。
・その人が何を大切にしているかを知ること
・対話を重ねること
・時にはお金や時間をかけて応援すること
でも、そのプロセスがあるからこそ、伝える言葉にも実感がこもります。熱が宿ります。
PRは決して一方通行の伝達手段ではありません。人と人、企業と社会が、やさしさでつながっていくための関係構築の営みなのです。
kushamiは、「ファンを増やす」ことをゴールとは考えていません。
むしろ、「企業が誰かのファンになる」ことこそが、真に対等で、持続可能な関係性のはじまりだと信じています。
“推し”のことを真剣に知り、好きになり、応援する。そんな企業の姿勢が、最終的に「誰かに好きになってもらえる」きっかけを生むのだと思います。
やさしいPRは、特別なテクニックではありません。
日常の中にある、当たり前の「推し活」の中に、その本質があります。
「ひとり」を深く知ることが、いちばんの近道になる
ただ、こんな話をすると、おそらくこんな問いが生まれるのではないかと思います。
「でも、企業って“ファンになってほしい人”が何千人、何万人といるわけでしょ? たった一人の相手にそこまで丁寧に向き合う時間なんてあるの?」
たしかにその通りです。
PRやブランディングは、最終的にはスケールさせなければ成果にはつながりません。
多くの人に知ってもらい、好きになってもらい、行動してもらう。マーケティング戦略としての機能も果たさなければ、企業活動としては成立しません。
でも、だからこそ、私たちはまず「ひとり」に集中します。
n=1のリアルを固定するということ
その「ひとり」は、仮想のペルソナではありません。
誰かの“平均値”でもありません。
私たちが話を聞き、時間をかけて関係を築いてきた、具体的な名前と生活を持つ“誰か”です。
kushamiでPR戦略を考えるとき、私たちがまずやるのは、その「ひとり」を固定すること。
たとえば、ある医療の啓発キャンペーンであれば、子どもを持つ30代のお母さんの中でも、過去に医療不信を感じた経験のある○○さん。
地域のリブランディングであれば、地方から都市に進学した後、いまも心のどこかで地元を気にしている○○くん。
その「○○さん」が、どんな生活をしていて、いつスマホを開き、どこで不安を感じ、何を見たときに少し心が動くのか。
その解像度を、徹底的に高めていくのです。
「知っている」を超えて「わかっている」状態へ
これは、たった一回の取材やアンケートではたどりつけない場所です。
何度も会い、何度も話をし、時には沈黙の中からにじみ出てくる感情に耳を澄ます。
そのプロセスを通じて、ようやく相手の中にある「本当に欲しているもの」、すなわちインサイトが見えてきます。
自社のサービスやソリューションと、そのインサイトとのタッチポイントを見出す──
それが、kushamiがもっとも大切にしているステップです。
言葉にならないニーズに、自社の価値がふっと触れたとき、はじめて“伝わる準備”が整う。
それは、広告コピーを何パターン作るかよりも、効果的な打ち手を何本並べるかよりも、ずっと強い関係を築きます。
一見遠回りでも、それが一番の近道
もちろん、時間もかかります。
人件費もかかるし、プロセスは決してスマートとは言えません。
でも、私たちはこの方法を「いちばんの近道」だと信じています。
なぜなら、そうして向き合った“ひとり”の解像度の高さが、やがて“百人”や“千人”の心をつかむ言葉の設計につながっていくからです。
個のリアルに立脚しているからこそ、共感の広がりには芯があり、ゆらがない。
大きな成果を出すために必要なのは、最初に“たくさん”に向かうことではなく、最初の“ひとり”と、どれだけ本気で向き合えるかだと思うのです。